繋がり『繋がり』 「卒業できそうなんだ」 「そう、良かったじゃない」 わたしは肩の荷がおろせる、と少し安堵した。 長い休学から復学して、やっと卒業見込みにこぎつけたのだ。 「でね、父さんに卒業式に出て欲しいと思ってるの」 耳を疑った。 「どういうこと?」 「だから、わたしの卒業式に立ち会ってもらいたいの」 一瞬、体力的に可能なのかということが頭をよぎったが、分かった風な口を利きながら、所詮、わたしの気持ちなんか分かってなかったのだという落胆と、それ以上に長女の意図が読めなくて元夫に対する嫉妬の炎が燃え上がっていた。 娘の父親である元夫は、肺がんである。 余命宣告では、年内いっぱいが危うい状況だった。 先日、父親に会いに行ってから、二人の娘はストレスを抱えるようになっていた。 会わないでいた数ヶ月で、彼はおよそ十歳は老け込んでいるのだという。 目の前の、老人と呼ばれるにはまだ早すぎる父親のあまりの変わりように、彼女たちの生んだ子供の顔を見せてあげることができないと認識した瞬間、命の期限を突きつけられたのだ、と見開いた両目から涙をぽろぽろこぼした。 だから、長女は卒業式には両親そろって出席して欲しいと言うのだった。 特に長女は、父親を愛し尊敬してきたのだから、卒業式に出て欲しいというのは、本音中の本音であろう。 「いやよ。父さんが出るなら、母さんは遠慮するわ」 いつの日か、卒業しといてよかったと思う時が来るからと、ともすれば学校をさぼろうとする長女を来る日も、来る日もたたき起こして通わせた。 そのわたしが唯一待ち望んでいたのが、その卒業式だった。 「じゃぁ、なんで母さんは父さんに癌に効くサプリメントの手配をするのよ。離婚したら関係ないんだから、知らん振りできるでしょう」 「じゃぁ、なんであたしたちと父さんの付き合いを拒んでこなかったのよ」 「じゃぁ、なんで」「じゃぁ、なんで」……。 彼女の口からあふれ出る疑問とも詰問ともつかない言葉が、わたしを激しく攻めたてた。 大好きだった人だから、最後の最後で憎みきれずに許せてしまうこと、そのことが量らずもわたしを深く傷つけてしまう現実、それが苦しくてたまらない、と更に大粒の涙を俯いた膝の上にぼたぼたと落とした。 次女が原因不明の食欲不振と下痢でやせ細ってきたのも、実はそこに起因していると、長女は言葉を続けた。 父親の命の限界を目の当たりにしてきた二人の娘達は、一日でも二日でも余計に生きていて欲しい、その鍵を握っている人が、母さんあなたなのだとさっきから訴えている。 何か食べたいものはないか、サプリメントは足りているのか、そういう類のやりとりを、わたしと元夫は携帯メールで行っていた。それを長女は指摘し、一体どういう意味かと訊いてくるのであった。 ここに、娘たちと同じで、憎みきれないわたしの曖昧さがあった。 いっそ、殺してやりたくなるくらいの憎悪があったなら、と思うことがある。 もう他人なのだから、どうなろうが知ったことかと割り切れたなら、どんなに気持ちがせいせいするだろうとも思う。 でも、それはできなかった。 なぜなら、彼女らの掛け替えのないたった一人の父親だったから……。 彼を娘たちの最愛の父親にし向けたのは、ほかでもないこのわたしで、いつも三人で、彼を取り合うような、そんな楽しい家庭を長い間で築いてきたのも、ほかならぬこのわたしだったからである。 それを、ある日突然、回れ右をして引き返せなどというのは、虫が良すぎる話であった。 だから、すべて娘たちの本音であり、悲痛な叫びだと分かっていた。 「もう蒸し返さないで。やっと、やっと過去に決別できたのに。それだけは勘弁してよ。母さんに死ねと言ってるようなものなのよ。ずっと堂々巡りして、やっとここに来て落ち着いたのに。だったら、もうサプリメントも送らないし、一切の関係を絶つわよ。それがあなたたちの希望ならそうするから。母さんの記憶が消えない限り、父さんとは二度とやり直しはできないのよ。父さんに会ったら、過去の結婚生活がゼロになってしまう。あなたたちを生んだことまで否定してしまいそうになる。だから、分かって欲しい。もう無理なのよ」 わたしも負けずに叫んだ。 「二度も裏切ったのは、父さんなんだから」 喉の奥が膨れ上がって、声にならなかった。 最愛の娘たちとこうして、諍い合わなければならない現実が、たまらなく辛かった。 「さっきはごめんなさい。お母さんのことを傷つけて…。許してください。サプリメントは送ってあげてください。そこだけでも母さんとつながっていることが、父さんの生きる支えとなっているんだから。それをやめたら、命もそこで終ってしまうから。父さんはサプリメントで延命できてるんじゃない。母さんとの繋がりがサプリメントだからなのよ」 携帯に、長女からのメールが入っていた。 |